「隠居の極意」 [日常]

政治家が不祥事を起こした時、よく云われるのが「出所進退は自分で決める」というフレーズがある。先達たちも自己の進退は自分で決めてきた。江戸時代の「隠居」も、まさに尊厳のあらわれ。決断できる余力が残っているうちに、一線から身を引く決断をした。
なぜそうしたのか。後に続く世代が、自分を見られているとの自覚があったから。江戸時代は高齢者というだけで、若い世代が尊敬の眼差しを向けた。自然災害には、きわめて脆弱。衛生環境は整っておらず、医薬品も医療がも進歩していなく限られた時代だった。いや無かった時代だった。
そんな環境の中で長生きをするには、相応の努力が不可欠となる。経験を積み重ねる中で判断力も養われてくる。これらを備えた年配者であるが故、長生きが尊敬された。逆に今の世の中は、身体が満足に動かないのに車を運転し、大勢の人達を殺傷したりして社会問題となり、高齢者に向ける目は厳しい。「若い者の手本たれ」この意識が薄いようです。
高齢になればいつまでも運転することは危険が伴います。しかし「クルマしか移動手段がない」といってはズルズルと運転をしてしまう。こういった場合は「免許返納」ということになりますが、なかなか決断ができない。他人に強制されず自ら決断してこそ、高齢者の尊厳を保つことができる。
その心意気があれば、あの江戸時代でも還暦・古希は勿論、米寿も白寿も全うできた。
社会からも若者からも尊敬されながら、余力をもって退く。「隠居」の極意かもしれません。
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