「加工される統計」 [日常]

政府の政策や官庁の施策なども、統計がその土台になっている。しかし、この統計という物が、どれほど信用できるものだろうか。
〈数字は嘘をつかないが、数字を使う人間が嘘をつく〉という諺があります。・・・拳銃も刃物も道具に過ぎない。しかしそれを人間が使うところで問題が出てくる。犯罪に使われれば、危険な凶器にもなる。しかしそれは身を守るためには、頼りになる存在でもあります。
ナイフは鉛筆を削る時に役に立つし、他人を傷つけることもできる。それらのことから〈統計とハサミは使いよう〉である。
国民の貯蓄を論ずる時、平均値を引き合いに出すのは数字。今貧富の差が大きくなっている中、「一世帯当たりの貯金が平均これだけないと」いう記事を見ると最初から信用できない。
なぜならは、何百憶円の貯金がある超富裕者が1人いて、貯金皆無の人が100人いる。しかし平均値は1憶円以上の貯金があることになる。
そもそも「統計」という物は、調査の現場から分析デスクに上がってきて歪められるだけではない。最初に収集された数字からして問題ありだ。
そこから上がってきた数字を、いろいろな状態に加工して公式統計が作られるのだから、それも基にして論をなすのだから一種のフィクションになっている。
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