「忠臣蔵・赤穂浪士」 [日常]

【写真は 映画 「赤穂浪士」ポスター】


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日本人なら大方の人が知っている「忠臣蔵」・「赤穂浪士」。


時は1702年(元禄15)12月14日の今日、江戸本所の旗本・吉良邸に大石内蔵石助良雄率いる赤穂浪士46、7名が討ち入り、吉良上野介義央を殺害。浪士たちは亡き主君浅野内匠頭長矩の仇討を果たした。


しかし幕法に背く行為でもあり、同件の処分をめぐり幕府は難しい選択に迫られた。一方で、隋弱な元禄の世にあって「義」を貫いた行為は武士の鏡といえる。この難題に幕府は儒者の荻生徂徠(おぎゅうそらい)に判断を仰ぎ一同切腹と相成った。


「忠臣蔵」・「赤穂浪士」は、日本人が好む「忠義」がストーリーの中心にありて、歌舞伎や映画、NHK大河ドラマなどで人気を博し何回も上演、放映された。


私は東映映画時代劇全盛時代の昭和30年代(まだ10歳前後)「片岡千恵蔵」や「市川右太衛門」が大石内蔵石助良役の映画を、父親に連れられ見た覚えありますが、討ち入りのシーンだけが脳裏に焼き付いていて、ストーリーは全く分からなく見ていても退屈で仕方がなかった。その後大きくなるにつれて「忠義」ということがやっとわかって来た次第。確かに「忠臣蔵」・「赤穂浪士」は日本人の心を掴み心の奥深くに流れている。


※荻生徂徠(おぎゅうそらい) 江戸時中期の儒学者・思想家


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