「元号を西暦に変換」 [日常]

この時季は桜満開が過ぎ、桜吹雪の季節ですが、昨日の天気は雪が吹雪になり冬景色になってしまった寒い一日でした。
話題は変わりますが、「令和」という新元号が発表されいよいよ元号が変わるんという実感が期待感と共に少しずつ湧いてきました。
元号が変わる事は昭和、平成と生きてきた人にとっては「元号を西暦に変換するには?」問いに対して素朴な疑問を持ちますが、インターネット上に覚えやすい公式が出ていたので記してみます。
・昭和( )年+25=西暦
・平成( )年+88=西暦
・令和( )年+18=西暦
また「令和」=れ・い・わ=0・1・8(語呂合わせがいいので車のナンバープレートによく使用されるようになるかも。
さらに
・令和の年+31=平成の年
覚えていくと便利です。
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「新札発行」 [日常]

「令和」と新元号が発表されると、今度は新紙幣発行と世の中が早いテンポで動いています。新紙幣の肖像は
・10000円札・・・福沢諭吉⇒渋沢栄一
・5000円札・・・樋口一葉⇒津田梅子
・1000円札・・・野口英世⇒北里柴三郎 といった具合に、お札も御代かわりに連れて世代交代の波が押し寄せています。
一つ気ずいたことは1000円札裏側の図柄が、現行のお札は山梨県側本栖湖から見た富士山から、神奈川県側海上から見た富士山が大波な中に浮き上がる富士山が描かかれています。北斎の浮世絵ですがダイナミックに描かれいます。
そして、新札導入となると関連企業の紙幣鑑別機メーカー、紙幣両替機メーカー、紙幣処理機メーカー、ATM機メーカー、自動販売機、駅の券売機、紙、インク各メーカーは活況を呈するだろう。
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特急「さくら」2 [趣味]

8日は入学式や始業式がありいよいよ希望に満ちた新学期が始まり、通学に使う定期券購入のためか定期券売り場は学生さんたちの長い行列ができていた。
話題は変わりますが昨日に引き続いて特急「さくら」2です。
●新進の14系客車を投入。個室寝台車”カルテット”で注目
1972年(昭和47年)3月15日「みずほ」「あさかぜ2号」とともに、新しいブルートレイン客車の14系寝台車(14系14型)を使用する最初の寝台特急になった。B寝台の寝台幅は50cmか70cmに拡大し居住性が改善した。14系客車では20系客車のように編成全体にサービス電源車を連結せず、小さな発電ユニットを緩急車に搭載する分散電源方式を採用するため、2方向の編成を分割・併合する「さくら」では、その効果をフルに発揮した。
1983年(昭和58年)12月からはB寝台が3段から2段になり居住性を改善。翌84年7月から4人用個室B寝台カルテットも連結された。これは寝台特急の活性化のために用意されたB寝台初の個室寝台車で同じ編成を使用する「みずほ」にも充当された。さらに1985年(昭和60年)3月からは牽引機がEF66型に変更されて注目が高まった。
その後も活躍を続けた「さくら」だが、1993年(平成5年)3月に食堂車の営業を休止、1999年(平成11年)12月には佐世保発着が廃止され、残された長崎発着は東京~鳥栖間が「はやぶさ」(東京~熊本間)と併結運転になった。また1997年(平成9年)にはカルテットの連結を終了するとともに、14系から改良型の14系15型い置換えられた。こうして2005年(平成17年)3月「さくら」は全区間廃止になり、その輝かしい歴史に幕を閉じ、2011年(平成23年)3月12日九州新幹線に引継がれた。
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特急「さくら」 [趣味]

この土曜日、日曜日はお花見日和に恵まれ、各地の桜の名勝はお花見客でにぎわった。一方鉄道界にも「桜」に由来する特急列車があった。その特急「さくら」について記してみます。
●特急「櫻」黎明期
特急「櫻」のルーツは、1923年(大正12年)7月に3等特別急行列車(3等車のみで編成された第3・4列車)が格上げされた急行に遡る。当時、特急はこの列車と1・2等特別急行列車(1・2等車で編成された第1・2列車)の2往復しかなかった。
昭和に入り、旅客誘致のため、これらの特別急行列車の列車名が公募された。その結果、日本初の列車名として1929年(昭和4)9月15日に1・2等特別急行列車が「富士」、3等特別急行列車が「櫻」と命名され、11月7日からテールマークも掲げられた。
翌年には「櫻」用の客車が鋼製3等車い置き換えられ、1931年(昭和6年)6月から3等寝台車が連結された。当初連結区間は京都~下関だったが、寝台車の人気は高く,1934年(昭和9年)3月からは全区間の連結になった。同年12月には2等車と2等寝台車の連結の始まる一方、3等車が前向き固定座席車から向かい合わせの普通座席(スハ32型)に変更された。それまでは東京と下関で行われていた客車の方向転換作業が解消された。(東京は品川~大崎~蛇窪信号所間のデルタ線を使用。下関は転車台で1両ずつ方向転換⇒こんな光景は現在大宮と京都の鉄道博物館しか見られない)
1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通し、区間は東京~鹿児島間に延長されたものの、戦況の悪化によって急行に格下げされて「櫻」の列車名を廃止。無名の急行となった。
●東京~大阪間の臨時列車として2代目の「さくら」登場
戦後の1949年(昭和24年)9月15日東京~大阪間に「へいわ」の列車名で特急が走り始め、のちに「つばめ」「はと」の2本体制となった。これを補完する東京~大阪間の臨時特急として。1951年(昭和26年)4月1日に2代目「さくら」が登場し多客期に運転された。
客車は当初、3等車のオハ35系を中心とした編成で、食堂車はあったが2等車はなかった。後のスハ43系に代わり、2等車も連結。1957年(昭和32年)7月から特急「かもめ」用の特急用のスハ44系を転用し、特急編成が整った。
●東京から佐世保まで結ぶ長距離寝台特として活躍
1957年(昭和32年)10月1日、東京~長崎間に一般客車の寝台特急「さちかぜ」が登場した。しかし、同じく寝台特急「あさかぜ」と名前が混同しやすすいため、1958年(昭和33年)10月に「平和」と改称された。さらによく59年7月20日、客車がブルートレインと呼ばれる20系寝台客車に置き換えられたのを機に、列車名も「さくら」(東京~長崎間、附属編成は東京~博多間)に変更された。
その後1961年(昭和36年)客車特急の「つばめ」「はと」が電車化され、栄誉ある列車番号の「1列車・2列車」(全国数ある列車の中で最初の番号)が「さくら」に割り当てられた。
1965年(昭和40年)10月からは、博多止まりの車両を使って佐世保まで延長され、九州側は長崎と佐世保が発着駅となった。
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「桜」 [日常]

絶好のお花見日和に恵まれた土曜日。私ども家族は、名古屋桜の名所山崎川へお花見としやれこんだ。川沿い両岸はデパート特売場なみの人出で混んでいる。大勢の人がお花見を楽しむと同時に、「日本の春」を楽しむことができた。
日本人が大好きな「桜」について少し記してみますと、桜の種類は、昔は今ほど多くはなく、野や山に自生する山桜が主だったようです。時代が進むにつれて交配や品種改良が行われるようになり、江戸時代には300品種ほど。現在では600品種以上に増えている。
桜の木を少し離れたところから眺めると、全体で一つの美しい景色を作りだしています。そこには美しい花が集まって作り出す調和・和合の美しさ美しさがある。
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「元号と時代を重ねる日本人」 [日常]

元号が決まった4月1日は、朝から天気は晴れ渡り、この日をエープリルフールでなく「令和決定の日」と記憶する人も多くなるだろう。
ではなぜ日本人は和暦を手放せないのだろうか?。それは人々が元号に「国の一体性を感じていたい」と願っているからだろう。その中心に天皇がいる。
日本人は西暦で世界を認識して、和暦で同じ時代と共に生きる「自分の居場所」を確認している。そんな居場所があるからこそ、大地震など災害にあっても、人々は略奪に走る事なく、励まし合って生きていける。
そう考えると、天皇皇后陛下が災害のたびに被災地を訪れられ、人々を激励されてこられたのは、まさに日本の姿そのものだ。平成はみんなで悲しみを乗り越えようとした時代だった。
後に続く「令和」は、どんな時代となるのだろうか。


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「延長」 [日常]

今年は、3月卒業式シーズンに桜が開花し、このところの寒さから4月入学式を迎える今日この頃になっても桜は満開。「ピカピカのランドセルと桜」これが昔から見かけた良き風景です。
話題は変わりますが、平成25年4月1日から始まった教育資金贈与制度は贈与税を非課税とする摘要期間が今年3月31日まででしたが、31年度税制精度改正により内容を見直しを行った上で、2年間の延長になりました。
教育資金贈与制度の本来の目的は、高齢者に偏りがちな金融資産を若年層の教育費として活用することです。
それにより、若者の進学や諸々の教育の後押しができるということで創設されました。しかし一方で、本来の目的を外れて、非課税の資産移転で相続税対策と捉えらりたり、経済格差を固定させるという批判もあるようです。


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「センバツ」 [日常]

よく「センバツが終わると春が来る」というジンクスがあります。ここ一週間続いた寒さには少し応えました。朝と昼の温度差も7度以上もあって体調管理に要注意でした。今日からは少しずつ暖かくなる予報が出ています。センバツのジンクス通りです。
そのセンバツですが、地元愛知、「東邦高校」が優勝した。天皇ご退位により次の元号が発表されたばかりの中、30年前平成元年のセンバツ優勝もが「東邦高校」。そして余すところ27日となった平成時代ラスト、〆の年の優勝を飾ったのも「東邦高校」になった。
平成元年と平成ラストの優勝は、「めぐり合わせ」というか「野球の神様」がなせる技かもしれません。
「東邦高校」優勝おめでとう。
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「ご退位の決心」 [日常]

元号が「令和」と発表された昨日は「令和フィーバー」に一日中日本列島がゆれた。しかも歴史的瞬間に立ち会え自分の思い出の中にずっと残る事だろう。
昭和から平成の時は、昭和天皇が崩御され、日本が沈んだ重苦しい気持ちの中で平成に改元されましたが、今回の改元は日本国民全員がワクワクして、今か今かと待ちわび改元瞬間に立ち会うことができた。
国民はお祭り気分、改元に関する歌や、ぐい飲み、ハンコ・・・製品化一番を競っての激しい商戦。改元前と後では日本国内の雰囲気がガラリと変わり明るくなった感じがします。
天皇陛下はここまで想定されて、ご退位の決心をされたのだろうか。
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「新しい時代」 [日常]

日本中が固唾をのんで見守った元号は、誰も予想だにしなかった万葉集由来の「令和」と発表された。
【初春の月(れいげつ)にして氣淑く(きよく)風ぎ(かぜやわらぎ) 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす】
【時は初春の良き月空気は美しく風も和やかで梅は鏡前で装うように白く咲き身に帯びた香のように香っている】
4月が始まり新年度になりました。ついで新元号も発表され5月1日からは新時代の始まりです。新天皇の御代、「令和」は音の響きも良く、新しいものにチャレンジし今までとは違う素晴らしい時代になってほしいと思います。
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