長大アーチ橋製作記③ [趣味]
長大アーチ橋の目玉となるアーチ部分の曲げは、製作しては失敗の繰り返しでどうにか3回目にして納得いくアーチ桁2本が出来上がった。
次工程は、車両が走る水平桁の製作。桁幅は、Nゲージ車両が(1/150)が上下線が行きかう複線仕様で、架線柱と作業員通路を含め80mmと決めて、レール受け梁80mmを18本用意し、50mmピッチで直角方向に配して、梯子状に組み立てた。
水平桁ができると、次は水平桁を補強する意味で、バランス良くブレース(筋交い)を取付、最後には、細かい作業ですがガゼットプレート(桁と梁が交差する個所に付ける三角形あるいは、台形の補強板)を取り付けた。すると鉄骨構造風の水平桁が見事に出来上がった。
前回迄のアーチ桁を作る作業工程とは違って水平桁は、製作スピード早くなり少しリズムも出てきようです。
次工程は、アーチ桁・水平梁のドッキングをするのですが、組立てると着色がしにくくなったり、後の取付部材を塗料で汚しやすいので着色を優先する。
さてどんな塗装ができるのか?着色も楽しみになって来る。
長大アーチ橋製作記② [趣味]
東洋一美しいといわれている本四連絡橋大三島大橋の製作を、期待と楽しみを持って先日始めたのですが、やはり失敗の連続であった。
幅(8mm+6mm+8mm)板厚2mmを3枚重ねてボンド接着して固めて部材を製作した迄は良かったのですが、木材ですから微妙に右に反ったり左に反ったりして木のクセがある。
反りを修正しながら木材を重ね貼りしなかったので、中心軸より極端に右に反ってしまった。もう一組は逆に左に反ってしまった。
これでは後の部材が、取付にくくなるばかりか、模型精度も悪くなってしまうので、前回の失敗を繰り返さないよう再度製作をし直した。
やはり初めて取り掛かることは、失敗して、試作しながらの繰り返しで出来上がって来るようです。
出来形は、10%程度ですが、今後も「一歩進んで二歩下がる」繰り返しになるかもしれませんが一つ一つマスターして進めて行こうと思います。
485系「雷鳥」消滅 [趣味]
2月15日は「3月は鉄道界が熱い」とブログをUPした。その中の「3月11日485系雷鳥消滅」と記しました。その「485系雷鳥」の事を追加してみました。
昭和39年12月25日から大阪ー富山間「雷鳥」として北陸線に登場し、名古屋ー富山「しらさぎ」と共にペアーを組み今日に至る46年間ですが、3月11日「485系雷鳥」は消滅する。
当時の人気車両である「こだま型」151系の流れをくんで、ボンネット型の特急列車の貫禄があり大都市と地方都市を結び毎年毎年成長していった。
そして481系、483系、485系、489系は昭和39年から昭和51年迄増備がつずけられ1451両に達し、国鉄車両では最大勢力となった。その12年間に車両の形態は多彩に変化し、バラエテーに富んで、鉄道ファンの興味は尽きない物があるのですが、ここ数年陳腐化が進み新型車両に置き換えられ残り少なくなった。
3月11日に485系「雷鳥」は消滅しますが最後迄の活躍を見守ることにし、昭和の名車も思い出のかなたへ発車し、はるかな旅に出るようです。
ちなみに481系、483系、485系、489系の
- 三桁目の「4」 交流・直流電化の両方に走ることができる表示
- 二桁目の「8」 特急専用
- 一桁目の「1」 主変圧器60ヘルツ 昭和39年登場
- 一桁目の「3」 主変圧器50ヘルツ 昭和40年登場
- 一桁目の「5」 主変圧器60ヘルツ+50ヘルツ日本全国どこでも走行可能 昭和42年登場
- 一桁目の「9」 「5」に信越線碓氷峠を越える事ができるEF63と協調運転可能 昭和45年登場
長大アーチ橋製作記① [趣味]
先日(2月7日)に「鉄道フェスティバル2011inなごや」のタイトルでブログをupした。
そのジオラマの中にある名鉄電車犬山橋、隅田川にかかる吾妻橋、本四連絡橋大三島大橋の長大アーチ橋に魅せられたと記した。
今日時間的余裕があつたので、大三大島風長大アーチ橋の製作を開始した。
まずアーチ橋の目玉になる孤(円形の一部)の形をした桁の部分から製作に入った。
ホームセンターで、木製角材2mm×5mm(2本)、2mm×8mm(4本)を購入して、H型鋼の表現をすべく、まず(2mm×8mm)+(2mm×5mm)を貼り合わせる。接着材を塗布し目玉グリップで外れないよう挟んで5分ほど乾燥を待つ。続いてもう一枚の2mm×8mmの角材を接着固定する。
これでアーチ橋目玉の孤になる部分の材料(H鋼)2組が出来上がった。
次回は、線路を受ける水平桁を製作する予定です。こうして長大アーチ橋製作の第一歩を踏み出した。
3月は鉄道界が熱い [趣味]
3月は、「鉄道ファン」にとっては、イベントがめじろ押しだ。
列記してみますと
- 5日 東北新幹線新型車両E5系「はやぶさ」デビュー
- 11日 485系「雷鳥」消滅
- 12日 九州新幹線全線開業
- 14日 リニア鉄道館オープン
- 27日 名古屋市営地下鉄「桜通り線」野並~徳重間開業
上記で興味深いのは「リニア鉄道館」。コプセプトは、”高速技術の進歩”を紹介しながら鉄道車両の実物が展示してあり、お宝満載。チビッコからオールドファン迄たまらないものとなるだろう。
もう一つは、昨年地価伸び率日本一で話題になった名古屋市営地下鉄「桜通線」野並~徳重間開通です。
名古屋市民にっては、喜ばしい話題。この地域は地下鉄が開業前迄は陸の孤島の様相を呈し名古屋駅迄一時間ほど要しましたが15分も短縮し、乗り換えなしで名古屋駅の地下に滑りこむようになる。
何はともあれ鉄道ファンにとっては、目の離せない一カ月になりそうだ。
慌てもの [趣味]
八戸ー新青森間が昨年末に開通し、三月五日より導入される新型車両E5系「はやぶさ」(MAXスピード300km/h)の一番列車指定席券が、みどりの窓口で今日一斉に発売される。
多分「初物ファン」とか「鉄道マニア」によって「わずか30秒売り切れ・・・・」と云うニュースが今日は駆け巡ることでしょう。
一方で名古屋吹上ホールでは、一年ぶりに「鉄道フェスティバル2011inなごや」が開催される。お宝ものや、掘り出し物いっぱいのフリーマーケットが出現しそうだ。
実は、このイベントは、先週の29日,30日に開催されると思いこみ出かけたのですが、駐車場はガラガラでおかしな雰囲気。イベント会場迄来てみると、前日迄のイベントの片つずけ真際中。「ア!チケットをよくみてみると一週間間違えたようだ。」本当に慌て者であり、我ながら恥ずかしく思った。
ですから今日は待ちに待ったイベントがオープン。陽気もいいようですから早速仕度して出かける事にしよう「鉄道フェスティバル2011inなごや」に。
寿司電車 [趣味]
【写真は サハシ153系寿司電車の内部 】
寿司と云えば現在は回転寿司が、子供から大人まで味わうことができて大変な人気があるようです。
今は昔・・・・・・。昭和37年から昭和47年頃。東京→大阪間7時間30分で結んだ急行電車153系に食堂車ならぬ寿司電車が連結されていたという。
この寿司電車は、サハシ153と称呼され、車体長の3/5は客室で、間仕切りを隔てて残り2/5が寿司コーナーに充てられていた。内装も木目調でノレン迄出して、本格的寿司店の様相を醸しだしていたようです。そして町の寿司店と同じカウンタースタイルで、当時としては、画期的な電車であったと思われる。
販売形式は、現在の回転寿司スタイルでなく、寿司職人が板前姿で、註文を聞いてから握る、本格寿司店であった。こんなイキな電車が連結されているとは、昭和の高度成長が始まる良き時代で、ビジネスマンにも大変人気があったようです。
その後、東海道新幹線が開業し、153系は、東海道線を去り山陽路で寿司店を営業していたが1972年新幹線岡山開業で、最後迄サハシ153が営業していた新大阪→下関間が廃止されサハシ153は消滅し現在は一両も現存していないという。
年末に東北新幹線八戸→新青森、来春は、九州新幹線八代→博多と新幹線が新たに開業し、新型の新幹線電車も登場する。これらのスピード感あふれる新幹線に回転寿司コーナーを設置して、大間のマグロとか九州産のスシネタで握れば新幹線の旅も、グルメ新幹線となり夢のあるものになるかも知れない。
ドクターイエロー [趣味]
この超人気電車は、正式には、「新幹線軌道総合試験車」といって黄色のボディーカラーが特徴で、普段はあまり見かけないので判りやすい。
私もこの電車を見るのは初めてで、超ラッキーだったかもしれません。何せこのイエロードクターの運行ダイヤは保安上の理由から公開されていない様です。ホームの行き先表示案内も回送電車扱いで秘密のベールに包まれているようで余計に人気を煽っているようです。
。お昼に営業路線を走行するときは、臨時列車のダイヤを利用して走っているとしか言いようがなく、見たら「幸せのハンカチ」で無く「幸せを運ぶ電車」かもしれません。