「天下分け目の戦い」 [日常]

1951年(昭和26)中央社会福祉協議会は9月15日を、老人を敬愛し長寿を祝う「年寄りの日」
と定め、一週間を行事期間として敬老の催しを行った。その後1966年(昭和41)国民休日法の改正で「敬老の日」と改称、祝日となった。その後さらに法律が改正され休日が日曜日と重なった時は翌日月曜日が祝日とされ16日の今日になる。
又、9月15日、16日は歴史的な日でもあります。「関ケ原で天下分け目の戦い」があった日です。天下を狙う徳川家康(58歳)と、豊臣政権を守ろうとする石田三成(40歳)。
両者の対立は国を二分する戦いになり東軍75000人、西軍82000人が美濃関ケ原で激突した。しかし、家康によるたくみな根回しがあって、西軍は日和見や裏切りが続出、大敗した。結束の無さということに尽きる。兵の数からいえば西軍が優勢で、布陣は決して不利ではなかったが、この戦いのストーリーは裏切りの連続。
東軍は家康の勝利を期して団結していたのに比べ、西軍は烏合の衆であり、東西陣営どちらが有利か、終始うかがっていた西軍に勝ち目がなかった。
ちなみに西軍でありながら日和見をした軍勢は
・南宮山に陣取った 毛利秀元
・南宮山に陣取った 安国寺恵瓊(えけい)、長曾我部、長束・・・これらの軍勢だけでも3万にもなる
さらに勝敗を決したのは小早川秀秋(19)。戦局が膠着状態にになり、たまりかねた徳川家康は小早川軍に鉄砲を撃ちかけた。この威嚇に震えあがった小早川軍は雪崩をうって山を下り、ふもとの大谷軍に攻めいった。味方と信じていた小早川軍の裏切りに善戦をしていた大谷勢も崩壊。これが勝敗の分かれ目になった。
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